◎蒲生を訪れた人②

種田 山頭火(たねだ さんとうか)

放浪の俳人といわれ、中国/四国/九州を主に近畿/東北平泉地方をも行乞の旅を続けた俳人種田山頭火〈たねださんとうか〉、蒲生へは昭和14年(1939)4月中旬、前田夕暮を通じ知り合いだった石塔極楽寺の住職米田雄郎に会いに来た、雄郎は洋画家野口謙蔵宅へ連れて行き紹介、2日間極楽寺で滞在し大いに歓待されて過ごしたようである。


 散ったり咲いたり やうやう逢えた (雄郎和尚に) 《山頭火大全集》
 あおじ朝なく庫裡  からりと開け放して  山頭火と坐る
 翁のきびしいこころ  酒をのんで  さめることをおそれている 

雄郎《忘却より二首》

 

山頭火は、明治15年(1882)山口県西佐波令村(現・坊府市八王子)の大地主の旧家に生まれる。母は山頭火満9歳の時、投身自殺、この後早稲田大学の前身校に入るも神経衰弱になり退学、一時酒造業を父とするも倒産、結婚し長男が生まれるが酒に溺れ、明治44年(1911)山頭火のペンネームで小説の翻訳、句会に入り活躍。雑貨商「雅楽多」を営むが妻に任せ放浪の旅が始まる。電車を停め禅寺へ連行され仏門へ、山頭火は自身の環境の変化に添いきれず、放浪と行乞の旅により自身の立ち位置を求め彷徨ったのだろうか、蒲生に寄った翌年昭和15年(1940)10月自身が主催の句会の時大鼾をかいて寝ていると句会の人々は思っていたが、心臓麻痺によりそのまま59歳で旅立った。

極楽寺

種田山頭火