◎蒲生の昔ばなし

蒲生地区の聖徳太子伝承

木村町の柳宮神社境内の一段小高い場所に「太子さん」と親しまれ、単独の社として祀られているが余り知られていない。謂われを略記してみると『聖徳太子が大阪四天王寺を創立の時、八日市瓦屋寺あたりで瓦を焼くため老蘇宮(近江八幡市安土町)を仮御所としてお妃高階姫と棲まわれていて、お妃が臨月を迎えられ、難産で十日余り苦しまれた。
太子は心を痛められ「仏法への信心を深め斎戒〈さいかい〉して身を清め法衣を着て仏様に一生懸命お祈りしなさい、そうしたらきっと心安らかになって安産するでしょう」と教えられた。お妃が「私の悩みが消えて安産がかなえれば太子と共に仏道に心と力を合わせて精舎(寺)を建て衆生〈しゅじょう〉を済度〈さいど〉(救うこと)することを誓います。」とこれに答えられたところ、その願いが通じ不思議にも老蘇の森の西南から金色の光明が差してきて仮御所を照らした。するとあれほど苦しんでおられたお妃が、まばゆい金色の光の中で、楽に王子を出産された。
お妃は大変喜ばれお側人にその光の源を探らせると、老蘇の森の西南三十丁余りの所に小山があり、その頂上に一つの霊石とその傍らに古びた大木が朽ち倒れており、その大木から芳ばしい香りと瑞光が輝き出ていた。太子とお妃はその地を訪ねられ、霊石は観音居所の補陀洛より来たものであり、香木は仏生国(インド)の栴檀〈せんだん〉の木であり不思議なめでたいことであると言って、かねて念願の仏像を作り安産の恩に報いるため、より多くの迷い苦しんでいる人々を救うことを決意された。

太子堂(木村)