イベント情報

こちらでは蒲生で開催される様々なイベント情報を随時更新していきます。

イベントに関するお問い合わせは、各イベントの主催者へご連絡をお願いいたします。

掲載を希望される方は、このホームページ上にあります「お問い合わせ」に情報をお寄せください。

蒲生地区イベントカレンダー

イベント案内

婚活のススメ「結婚へ導き、家族・職場・地域の役割」

婚活のススメ「結婚へ導き、家族・職場・地域の役割」

恋活・婚活コンサルタントが語る、結婚へ気持ちを結びつけるための方法をお伝えします。

日時:2018年12月9日(日)9:30~11:30

場所:蒲生コミュニティセンター小ホール

定員:70名

参加費:無料

申し込み・問い合わせ

蒲生地区まちづくり協議会

TEL:0748-55-3030

蒲生わいわいサロン

蒲生わいわいサロンをオープンします

月2回の午前中…

地域の皆さんと、おなじみの民謡で楽しく健康体操をしたり、わいわいお喋りをして、楽しいひと時をすごしませんか?

蒲生コミュニティセンターはそんな皆さんをお待ちしています!!

地域の皆さんに「楽しい居場所」と思っていただけるように…

◎おすすめポイント

①立っても座ってもできる体操(みんなで一緒に体操できる)

②楽しい民謡で盆踊り気分になれる(ウキウキすることが大切)

③ちょっと疲れたら、お茶を飲んだりお喋りをしたり…

 (声を出すとストレス解消)

<参加費無料です>

<日時>各日:10時~12時 

⑭:12月11日(火) ⑮:12月25日(火) 

⑯:1月8日(火)  ⑰:1月22日(火) 

⑱:2月12日(火) ⑲:2月26日(火) 

⑳:3月12日(火) ㉑:3月26日(火)

<場所>

蒲生コミュニティセンター 小ホール

<持ち物>

お菓子を持ってきていただいてもかまいません。

飲み物はコミュニティセンターでご用意させていただきます。

<対象>

どなたでもOKです。

<問合せ>

蒲生コミュニティセンター(西田まで)

IP:050-5801-0207

TEL:0748-55-0207

 

 


第十九回あかね年賀状展 作品募集

第十九回あかね年賀状展の作品を募集しています!

◆作品の種類は、以下の通りです。

ガリ版画やその他の版画、水彩画、絵手紙、油絵、水墨、色鉛筆・クレヨン等で手書きされたもの、ちぎり絵、押し花など貼付けされたものなど手づくりの年賀状

◆対象者

市内在住・在勤で年齢は問いません。

◆展示期間

平成31年1月13日(日)~31日(木)

※ささやかなプレゼントがあります!

問合せ・申込先

蒲生コミュニティセンター

IP:050-5801-0207

TEL:0748-55-0207

 

(仮称)-師・謙蔵と共に歩んだ画人-竹内孝展』開催決定!

(仮称)-師・謙蔵と共に歩んだ画人-竹内孝展』開催決定!

野口謙蔵氏を師匠として、共に歩んだ画人竹内考(たけうちこう)展を開催します。

日時:2019年3月21日(木)~31日(日)

   9:30~17:00

場所:蒲生コミュニティセンター

 

問合せ

蒲生コミュニティセンター

IP:050-5801-0207 

TEL:0748-55-0207

 

竹内考氏プロフィール

明治42(1909)年、旧竹生村(前びわ町、現長浜市)稲葉に農家の6人兄弟の四男として生まれる。尋常高等小学校卒業と同時に、兄が経営していた米屋に勤めていたが、22才になって画家を志望して上京。昭和10(1935)年、太平洋美術学校(専科)熊岡道場に学び、更に精神的な画業の道を深めるため埼玉県・平林寺で1年間禅修行をする。

  そんな中、東京上野美術館で行われた展覧会で、野口謙蔵(1901-1944)の第

14回帝展特選作品『閑庭』を見て素朴な絵にひどく感激し、以後、この人こそ私の師と決意し、帰省するたびに野口謙蔵宅に作品を持って旧桜川村(前蒲生町、現東近江市)綺田まで通うようになる。

  昭和14(1939)年に帰郷し、その後野口画伯が亡くなる年まで長浜から毎月1日、11日、21日の3回、二枚の作品を持って欠かさず通い、その数計182回だったという。

  師と共に同じ道を歩こうと決意していたが、昭和19(1944)年7月5日、野口画伯が亡くなると目指すものがなくなったためか自ら中央画壇を去る。

  すでに東光会には連続9回入選し会友となり、もう一歩で会員という位置であったが出品を拒否。そして滋賀県美術委員も辞し、大学講師の誘いも断り画家の道を自ら閉ざした。

  その後、農業、新聞配達の生活を送りながら、県展には出品(特選3回受賞)していたものの表舞台に出ることはなかった。しかし、野口謙蔵の死後20年を経た昭和40(1965)年になって竹内の才能を世間に注目されるようになり、昭和45(1970)年、大阪日動画廊第1回朝陽展に招待出品、昭和57(1982)年には大阪高宮画廊で、昭和61(1986)年には東京東急ホテルで個展が開催され、その作品は高く評価された。

  しかし、たとえ名声を得ても絵は売らず生活を変えず、湖北の湖辺の風景・風物を日課の如くひたすらに描き続けた。まさに野口謙蔵の死後も師と共に歩むかのように「自然の心」を描くことを追い求めて一途に過ごした人であった。

 平成8(1996)年8月5日、満87才で世を去った。