◎蒲生の人々

蒲生の刀匠

応永年間(1394~1427)に蒲生石塔寺の近くに備前長船〈びぜんおさふね〉(岡山県)の刀工助久が移住し福岡一文字派助宗の流儀を伝え石堂(石道)派の祖となったと言われています。その後、この流派は途絶えていましたが、第9代将軍足利義尚〈よしひさ〉(1465~89)が佐々木高頼〈たかより〉追討〈ついとう〉のため栗太郡鈎〈まがり〉の里(栗東市上鈎町)に陣を構え(鈎の陣)(1487~89)陣中に備前長船の刀工勝光・宗光以下60名が呼び出された。
長享〈ちょうきょう〉2年(1488)8月22日に陣中にて拝謁し、同9月21日から陣中で刀を鍛〈きた〉え、その後3年を経た明応元年(1492)石塔の事を伝え聞いた長船派の助長〈すけなが〉が石塔に移住して石堂派を再興しました。この流派はその後、武蔵〈むさし〉・紀伊〈きい〉・山城・長門〈ながと〉・周防〈すおう〉などに分住し、古刀期(奈良~安土桃山)、新刀期(江戸時代)、新新刀期(明治~)と受け継がれています。しかし、発祥の地、蒲生では石塔の他、上小房(桜川東町)で文亀年間(1501~3)に石堂派の助光〈すけみつ〉が作刀しているがいまはその伝承もなくなっています。

将軍徳川慶喜が伊勢神宮に奉納した、石塔の藤原是一作の刀の太刀