◎蒲生の人々

洋画の奇才といわれた野口謙蔵

明治34年6月に、蒲生郡桜川村(現東近江市)綺田の酒造家野口正寛[まさひろ]の次男として生まれた。正寛は文化に関心をもち、明治22年(1889)町村制施行の桜川初代村長を務めた人であった。

 

謙蔵彦根中学校のとき描いた水彩画「彦根城山大手橋」が、陸軍特別大演習で来られた大正天皇により皇室へお持ち帰りとなりまし。このときから絵画への努力が一段と重ねられ、大正8年(1919)

19歳のとき、東京美術学校に入学して、黒田清輝や和田英作から指導を受けました。

 

大正13年(1924)に卒業し郷里綺田へ帰りました。しかし、自作の洋画について悩み日本画を学びます。帝展第15回(1934)に出品した「霜の朝」は3回目と特選となり、以来、近江風景画に独特の日本画的構図を示し、筆致にすばらしい才能を発揮し、多くの傑作が生まれ、人々の共感を受けました。
また、昭和18年(1943)には新文展の審査員に推挙されています。昭和19年7月5日に44歳の若さで没しました。また友人にどうして皆、フランスに行きたがるのかと尋ねられると、「滋賀県にもこんなに見飽きぬ美しい所が幾らでもあるのに」と言ったと語られています。

野口謙蔵画_冬日

謙蔵氏肖像画