蒲生は、ガリ版発祥の地〜ガリ版の《聖地》です

ガリ版は正式には謄写版(とうしゃばん)と言い、1894年(明治27年)、滋賀県東近江市蒲生岡本町出身の堀井新治郎父子が簡単便利な印刷器として発明、発売しました。

ガリ版のしくみ

和紙にパラフィン等を塗ったロウ原紙と呼ばれる原紙をやすりの上にのせ、「鉄筆」という先端が鉄でできたペンで文字や絵をかきます(この作業を「原紙を切る」と言います)。この部分は紙のロウがけずれ落ちて細かい孔がたくさん開き、「透かし」となります。木枠に原紙を張り、原紙の上にインクを塗り、下に紙をおいて、上からローラーで押さえると、「透かし」部分の文字や絵の部分だけインクが通過し、印刷されるしくみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガリ版のあゆみ

「ガリ版」の呼称は原紙を切る作業中に生じる音から来ています。非常に簡易な印刷装置で、小型のものは手で持ち運ぶこともでき、原紙とインクさえあれば、電気などがなくても印刷が可能であるのが特徴です。

 

このため、日本では小学校で副教材や問題用紙の印刷などに多く使われ、戦地でも活用されました。また、政府非公認組織がビラなどを作成するためにも多く使われました。

 

複数のインクと版を利用してカラー印刷を行うことも可能でした。高い技術を持つ書き手の手にかかると、非常に美しい多色印刷物を作ることもできました。 その手軽さから小部数の出版にも多く活用され、1950~1980年代には演劇や映画・テレビ番組の台本、楽譜、文芸同人誌など「ガリ版文化」と呼ぶべき一時代が築かれました。  

ガリ版のこれから

特に日本や中国で多く使われた理由は、これらの国では文字の数が数千から数万種類あり、すべての種類の活字を活版印刷用にそろえるのが困難だったためです。

 

1970年代ごろからは、「ボールペン原紙」や「ファックス原紙」に移行し、印刷機も輪転機となっていきましたが、それらも1985年ごろを境に、リソグラフ等の簡易印刷機の出現や電子複写機のコストの低下により、日本ではほとんど使われなくなりました。

 

しかし、一部の美術家や愛好家、海外で使用されており、百年にわたるガリ版の灯が守られているのです。また、ガリ版を若い世代が新しい文化・芸術として使用する人が増えてきています。

 

 


ガリ版伝承館

ガリ版の発明者…堀井新治郎
ガリ版伝承館は、明治40年代に建てられた堀井新治郎父子の本家を修復し、偉大な発明王として後世に伝えて行くと共に、温かみのあるガリ版文化にふれていただこうと平成10年4月に開館しました。
堀井新治郎父子は、毛筆が主流であった明治27年、大量に同じ文章を簡易に印刷する印刷機の研究に財産を注ぎ、エジソンの発明した印刷機を参考に、鉄筆による簡易印刷機を考案し、謄写版と名付けました。
ガ リ版の発明は、明治期の印刷手段の一大革命となり、大学や商社、官庁、新聞、通信社が率先して使用しました。また、事業が拡大するに伴い、改良・工夫を加 え、上海を始めとする海外への市場を拡大していきました。発明家・事業家として活躍した堀井新治郎父子、初代新治郎名義の発明登録数は60件、2代目名義 は488件にのぼります。
ガリ版伝承館では、ガリ版の懐かしさと、ガリ版を知らない世代には新たな魅力を味わっていただける施設となっています。
また、隣接するガリ版ホールでは、喫茶コーナーがあり、クラフト市や特産品販売、音楽イベントも開催されます。

<開館>

毎週土日 10:00~16:30(入館は16:00)

開館時は、ガリ版体験もできます。詳しくはこちらから。

〒529-1521
滋賀県東近江市蒲生岡本町663番地

 

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