◎蒲生の近江商人

1、堀井新治郎

近江商人とは、近江の国(滋賀県)から他国(他府県)へ出て商業活動を行い成功した人を言います。当蒲生地区において近江商人は鎌倉時代からはじまり、江戸時代の中頃から大正時代に掛けて多くの近江商人を輩出しました。その中で簡便で多くの印刷が可能なパソコンが普及するまで活躍した謄写版(ガリ版)は官庁・学校などの公用から民間でも多く使用されました。
この発明者は、代々醸造業を営んでいた近江商人の堀井家に婿養子として、現竜王町駕輿丁〈かよちょう〉から迎えられました。  
初代新治郎氏は土山の内務歓農局出張紅茶伝習所に入所し、製茶巡回教師や製茶審査員などを歴任した中で、繁雑な文書処理を簡素に処理できないかと常に考えていました。
明治26年(1893)に退職し、海外の印刷事情を求め渡米しシカゴの万国博覧会場でエジソンが発明した「ミメオグラフ」に遭い、帰国後、義理の子耕造と共に発明に没頭し、その間資金に苦しみ当地の財産を無くして東京へ、明治27年に一号機を、翌28年に原紙を発明し完成させ、80年のヒット商品となりました。蒲生岡本町のガリ版伝承館には、多くの人々が訪れています。